『数学者たちの黒板』は、フィールズ賞受賞を含む数学者109人の板書の写真と、その黒板にまつわるエッセイだ。
思えば、パソコンやiPhon、iPadなどさまざまな電子機器がある中で、多くの学校では黒板を中心とした授業がいまだに続いていることはとても不思議なことだ。黒板にチョークを使って文字や図形を描く方法は1800年代のフランスで登場したというから、かれこれ2百年近くは黒板が利用され続けていることになる。
黒板がいまだに大活躍である理由について、本書の中にこんな言葉があった。
黒板あるいはホワイトボードに説明を書くときは、すでに印字された資料を説明するよりもゆっくりとしたペースになる。このため、新しい概念に出くわした人が追従するのが楽になり、彼らにかかるプレッシャーを取り除くことになる。
確かに教科書もあるのだし、そちらで説明するだけに終始しても良いのではという気もするが、あえて黒板を使って説明をすることで、教室にいるより多くの生徒が無理なく授業についていくことができそうである(居眠りでもしていない限りは)。
しかし、教科書を一通り読むだけで理解ができてしまう生徒には、そうした授業のペースは退屈でしかない
『ギフテッドの光と影』では、教科書は一度読めばほとんど理解できてしまうという高IQを持ったギフテッドの人たちについて書かれている。
ここで、高IQとはどれくらいのIQ(知能指数)を持つ人々を指すのか?
実はこの定義は国によって毛色が異なっている。日本ではIQなどをもとにして才能を定義すると、高IQの人を選抜する動きが出てくるとして、あえて「定義はしない」と結論づけているそうだ。
海外のギフテッド教育の基準も国や地域によって異なり、IQ130以上を対象にする国もあれば、独自の基準を設ける国や地域もある。
そして本書では、ギフテッド=天才という世間の誤ったイメージを指摘している。
小学校に入る前に外国語が話せるようになる、相対性理論を完全に理解する、など超人的な才能を見せる子供がギフテッドだと誤解されているように感じます
確かにメディアで取り上げられるのも、若くして難しい検定や資格に合格した子供や飛び級で大学に入学した子供などが多く、華やかで実年齢と大きく乖離した結果を残した子供だけがフォーカスされている。
しかし、本書によれば、そうした超人的な才能があるのはギフテッドの中でもごく一部で、極めて稀な存在であるという。
また、ギフテッドとされる子供はさまざまな才能において集団の中に3〜10%程度いるそうで、なんとこれは35人いる教室では、1〜3人はギフテッドの子供がいるということになる。
我々の想像するよりも多くの子供達が「学校の授業は知っていることばかりでつまらない」という悩みや自分の特性を理解されずに困っている可能性があるということだ。
これは学校だけでなく会社やあらゆる組織においてもであるが。
コメントを残す