読書日記 『日本における中絶の扱いについて』

本書『射精責任』は以下の言葉から始まる。

望まない妊娠の全ての原因が男性にある

おいおいちょっと待ってくれ…。
と思った、そこの男性諸君は(そうではなくても)本書を読むべきだ。

2018年9月14日、ある一連のツイートがものすごい勢いでリツイートされ、相当数の「いいね」を獲得した。そのツイートは2023年6月時点で、19.7万リツイート、30.8万件の「いいね」がついている。まさに驚愕の数字だ。その一連のツイートは、以下のツイートで始まる。

私は6児の母であり、モルモン教徒です。宗教的なことも含めて、私は中絶についてよく理解しています。これまで男性たちが女性のリプロダクディブ・ライツについて、女性に代わって好き勝手に議論してきたことを聞いてきました。私は、男性が実際のところ中絶をなくすことには全く関心がないことを確信しています。なぜなら…

このツイートには、さらにスレッドと呼ばれるかたちで62件のツイートが続いている。この一連のツイートの主こそ、本書の著者であるブレアその人である。

ところで、日本における中絶の扱いをあなたは知っているだろうか?
実を言うと、中絶は刑法の堕胎罪(だたいざい)として規定され、女性と堕胎を行ったもの(医師など)が罰せれることになっている。つまり原則は違法なのである。しかし、皆さんもご存知の母体保護法により、例外的に条件に合致するときだけは中絶が認められている。その例外には、2つほどあるのだが、最も知られたもので「経済的な理由により」がある。日本というのは、中絶手術を依然として刑法上の犯罪としながらも、実態としては経済的条項を拡大解釈して運用しているという、無節操なやり方をしているということだ。

一方、アメリカではどうだろう。向こうは日本よりも進んでいて、それこそ「胎児の生きる権利」と「女性の選択する権利」とが真っ向から対立するかたちで長年争われており、大統領選挙の公約になるほど国民の関心を集めている。一時は、中絶をする権利が認めれ「女性の選択する権利」が勝利したと思われていたが、数十年後にはそれも取り消されるなど、まだ紆余曲折している。

しかし、いずれの場合でももう一方の当事者は透明人間かのごとく全く登場していない。そう、男性たちのことだ。ブレアが嘆いたのはまさしくこの状況についてである。本書は中絶についての論争における全く新しい視点を切り開いたのである。多くの人に読まれるべき一冊だ。

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koya
読書歴10年。書評歴3年。本は読んでいるだけではダメです。 知識はアウトプットしてこそはじめて血肉となります。 私は読書歴10年ほどで、現在は毎月平均して10冊程度の本を読んでいます。 私がこの10年間で培ってきた読書のノウハウや考えは、きっと皆さんの役に立つと思っています。 目標は「他人が読まない本を手に取る読書家を増やすこと」です。
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