2013年以降、多くのアメリカの大学のキャンパス内で驚くべき事態が発生している。
教員の発言の言葉尻を捉えて糾弾し、辞任を求めるデモが起きたり、対立論者の講演に抗議し、激しい妨害活動が行われた。
なんとその当事者はいずれも学生たちである。
本書は、今どきの若者が過保護に育てられ、甘やかされ、おかしくなっているという、単純な話ではなく、特定のイデオロギーを論難する趣旨で書かれたものでもない。
今日の若者(主に一流の大学を目指す若者)は、良い成績と課外活動での数々の実績を挙げるため、日々大きなプレッシャーのもと、放課後の自由な時間を削って生活をしている。
決して、自由な時間を与えられ、気楽でやりたい放題の子供時代を送っているわけではない。
むしろ、大人たちが子供を守ろうとしてやりすぎる傾向にあり、その行き過ぎた行動が弊害をもたらしているのだ。
本書はこんな人にオススメです!
✓子供たちに必要な教育が知りたい
✓スマートフォンやSNSの弊害について知りたい
本書では、こうした学生たちの心理を明らかにして、どのような教育によってこのような学生たちを作り上げてしまったのかが書かれている。
著者らは、昨今の学生たちの異常な行動の原因として、3つの<大いなるエセ心理>の蔓延が原因であると主張している。
その3つとは、「脆弱性:困難な経験は人を弱くする」「感情的決めつけ:常に自分の感情を信じよ」「味方か敵か:人生は善人と悪人の闘いである」だ。
いずれも古くからある諺や価値観とは異なる心理である。
―目次―
① ピーナッツアレルギーのパラドックス
② 学生の一人が学長を排除
③ スマートフォンやSNSの弊害
④ 仕組まれた自由の中で遊ぶ子供たち
①ピーナッツアレルギーのパラドックス
まず「脆弱性:困難な経験は人を弱くする」であるが、人はこれまでの経験から、過度にリスクを高く見積もることに固執して、無用な行動を避けることを指している。
複雑な世界では、予想外の問題が起きることはほぼ避けられないにも関わらずだ。
本書では、例として、ピーナッツアレルギーのパラドックスというものが紹介されている。
彼の両親ジョンとジェーンは必須のオリエンテーションに出席し、先生から規則や一連の手続きについて説明を受けなければならなかった。説明に割かれた時間から察するに、最も重要な規則は<ナッツの持ち込み禁止>だった。
ある時期のアメリカの幼稚園では、ピーナッツアレルギーの子どもに危険であるからと、ナッツを含むものを一切園内に持ち込んではならないという規則が存在した。
しかも、この規則は、その園にピーナッツアレルギーの子供がいようといなかろうと関係なしに持ち込み禁止なのである。
禁止する理由としては、90年代半ばから2000年代の初めとで、ナッツのアレルギーを持つ子供が3倍になったという調査結果が報告されたためだ。
しかし、皮肉にも、こうした過度の拒絶反応は、アレルギーを持った子供を少なくするのではなく、アレルギーを持つ子供を逆に増やしてしまうことにつながった。
人の免疫系は、数々の脅威にさらされることで、現状よりも強靭になる。
それは、免疫系だけではなく精神にも言えることなのだ。
②学生一人が学長を排除
そして、残りのエセ心理の2つである。
「感情的決めつけ:常に自分の感情を信じよ」とは、文字通り、自分の感情を正しいと信じ込んでしまうことであり、「味方か敵か:人生は善人と悪人の闘いである」とは、常に物事を善か悪かの二元論で捉え、自分とは異なる思想や考えを排除しようとする行動のことである。
この「感情的決めつけ」と「味方か敵か」の2つが重なることによって、コールアウト・カルチャーが生まれやすくなる。
本書にもわかりやすい例が書かれている。
それは、カリフォルニアの大学で、メキシコから移住してきたオリビアという学生が、学生向け刊行物のエッセイで、日頃感じている疎外感や排除されていると感じていることを記載し、そのエッセイを全職員・学生にメールしたことから始まる。
そのメールを読んだ学校側は、学長自らがオリビア個人に対し、以下のようなメールを返信した。
記事の執筆ならびに共有、ありがとうございます。大学コミュニティとして、取り組むべきことがたくさんあります。この問題について、別途、私とお話ししませんか?あなたの指摘は、私にとっても学生部のスタッフにとっても重要です。私たちは、学生の皆さん、とりわけクレアモント・マッケナ大学の型(mold)にはまらない人たちのお役に立てるよう取り組んでいます。ぜひ、お話しできればと思います。よろしくお願いします。
どう考えても歩み寄っている内容であるが、オリビアは学長の“型(mold)”という言葉に違和感を感じ、拒絶反応を示した。
その後、オリビアの怒りは学生全体にシェアされ、学長は解雇こそされなかったが自ら辞職する羽目になったという。
オリビアのように、自分は正しいと信じ込み相手を悪者であるとする心理は、昨今のSNS上において数多く見かける光景となったのではないだろうか。
③スマートフォンやSNSの弊害
では、学生たちはどうしてこのような心理を持つようになったのだろう?
本書の後半は、こうした学生たちを育てた教育として、「不安症とうつ病」「パラノイア的子育て」「自由遊び時間の減少」等が挙げられており、正直言うと、私個人としてはこちらの内容がはるかに興味深かった。
「パラノイア的子育て」「自由遊び時間の減少」には先に少し触れたので、「不安症とうつ病」についてここでは触れよう。
本書によれば、これまで書いてきた2013年あたりから起きている危機的状況の主要因は、2007年頃から10代の若者の生活にスマートフォンとSNSが急速に普及したことと考えることもできる。
Wikipediaによれば、Z世代とは、1990年代中盤から2000年代終盤、または2010年代序盤までに生まれた世代のことで、生まれながらにしてデジタルネイティブである初の世代でもある。
さらに、Z世代は、友達といる時間よりもスマートフォンの画面を見ている時間の方が長い世代でもあるのだ。
スマートフォンやテレビを観る時間の長さとうつ病やその他自殺行動には、有意な相関関係が存在するという(この結論には、まだエビデンスが少ないこともあり、議論の余地が残されている)。
SNSとは、キュレーションされた世界である。
特に女子は、男子よりも、SNS上で見せている姿と現実のギャップによる悪影響を受けやすい。
女子と男子では攻撃性を示す方法が異なっている。
男子は「肉体的」な攻撃性を示すが、女子の攻撃性は「関係性」にあり、敵対する相手の人間関係、評価、社会的地位を傷つけようとする傾向にある。
例えば、誰が仲間はずれにされているかをSNS上で他の女子にわからせる等だ。
SNSは、言語が発明されて以来、最も人間関係に攻撃性を発揮するものであることを肝に銘じておかなければならない。
SNSの登場によって、学生たちは24時間不安や危険に晒されるようになったのである。
④仕組まれた自由の中で遊ぶ子供たち
本書は、アメリカの学生たちを中心に、彼らの行動や受けてきた教育について書かれている。
しかし、例えば、以下は日本においても全く関係のないことではない。
両親が高学歴で裕福な家庭の子どもには、放課後や週末に友だちとゆったり過ごす時間はなく、受験戦争に勝つための能力を育成する時間で埋めつくされている。
では、親が子供ために良かれと思い様々な経験をさせることの何が悪いのだろう?
一つの答えとして、多くの経験をさせてあげることは確かに重要であるが、子供たちの本来自由である時間を、親が管理・支配する時間で埋め尽くすことがいけないのだ。
これでは、子供たちは“仕組まれた自由”の中でしか自由な時間を謳歌することができなくなってしまう。
はたして、こうした子供たちが将来クリエイティブなことを成し遂げることができるだろうか?
本来子供というのは、親の干渉から離れ、他の子供達と共同しながら子供達だけで遊びを作っていける時間が必要なのだ。
本書は、学生、子供を持つ親、教育関係者など、見る人によって異なる感想を持つだろう。
一方で、多くの方にとって学びになる本であることに間違いない。
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