『気候変動と「日本人」20万年史』平均気温が2度下がる寒冷化が、人類の歴史を動かした。

日本では、これまで平均気温が2度下がる寒冷期が数十年続くことにより、旧体制が崩壊し、新しい社会が誕生してきた。

著者らの研究によれば、この寒冷期は、数百年から数千年という間隔で出現したという。
そして、常に新体制を生む原動力として機能してきた。

本書は、気候変動による環境変化が、我々日本人の祖先にどのような影響を与えたのかを解析した本である。

本書はこんな人にオススメです!
✓歴史の知識がなくても読めるような歴史本が読みたい
✓日本列島のこれまでの歴史を「通史的」に解釈したい
✓地球科学や環境汚染について興味がある

著者は、地球科学を専門とする科学者で、過去の気温を0.3度の誤差で復元した。
本書によれば、これまで日本列島で起きた歴史的な出来事は、10の主要な寒冷期に重なるという。

弥生人が日本列島に移動してきたのも、平家が没落し源氏が台頭したのも、(日本ではないが)古代エジプト文明が滅んだのも、先ほどの寒冷化が引き金となった。

パリ協定では、平均気温が2度変わると人類に壊滅的な被害を与えるとされている。

たった2度?と思うかもしれないが、本書を読めばその意味が理解できるだろう。

―目次―
温暖化は繁栄の証
日本人の遺伝子の半分は中国の人々によるもの
国家事業には環境破壊がつきもの
人類20万年史を高い精度と完成度でまとめた労作

①温暖化は繁栄の証

縄文時代と言えば、多くの人は、少数で暮らし獲物を追いながら居住地を転々とする人々を想像するだろう。

しかし、近年そのイメージが大きく変わりつつある。

それが三内丸山遺跡の存在だ。

三内丸山の人々は、1000年以上にもわたり1か所に定住し、熟練した技術を持ち、遠隔地との交易を行い、森林を管理して生活をしていた。

森林管理とは、植物や穀物を栽培していたこととは少し異なるが、三内丸山の人々は、栗の栽培に近いこと(本書では半栽培といっている)をしていたことがわかっている。

三内丸山がこれほどまでに発展できたのは、平均気温が2度高い温暖な気候が続いたためである。
このように温暖化が続くことにより、大きく発展を遂げたのは、他にもモンゴル帝国がある。

モンゴル帝国は、最盛期の人口が1億人にも達し、当時の世界の総人口の4分の1を占めた。
おそらく世界で最も繁栄した帝国の一つであろう。

モンゴル帝国がこれほどの躍進を遂げた要因にも温暖な気候が関与している。

モンゴル人といえば馬を中心とした遊牧民だ。
家畜こそが富であるという社会で、馬の最大の長所がその機動力にある。
しかし、その反面、馬は牛よりも消化器官の効率が悪いため、多くの牧草を必要とする。

温暖な気候は、馬用の飼料が目の前の豊かな草原から得られるという利点をもたらしたのだ。

②日本人の遺伝子の半分は中国の人々によるもの

現代日本人の半分程度の遺伝子は、弥生時代に中国から渡ってきた人々によりもたらされたものだ。

弥生人は、元々は中国に暮らしていた人々である。

4200年前、水稲の起源である中国長江下流域で、文明が途絶えるほどの厳しい寒冷化を経験したことにより、一部の人々が日本に渡ってきた。

ところで、弥生人といえば、縄文人に比べて、「平坦で滑らかな顔」、「目は一重瞼で細い」、「鼻は狭くて低い」といった顔の特徴がある。

実は、これは寒冷地という環境に適応した人々が持つ特徴の一つだ。

冷気がそのまま気管支や肺に達すると、呼吸器官がダメージを受け肺炎を起こす。空気を温めるために、頬骨が横や前方に張り出し、鼻腔が広くなり、空気と接する面積を広くする。鼻が高いと凍傷を負いやすくなるので、鼻は低い方が有利である。骨格とは直接関係ないが、一重瞼は二重瞼より脂肪がずっと豊かなので、露出した眼球を厳しい寒さから守るには、一重瞼がはるかに有利である。

また余談であるが、「酒が飲めるか、飲めないか」は遺伝子で決まるが、元来、全ての人類は酒に強かったとされている。

それが、2万〜3万年前、中国に滞在または移動中の人の一部の遺伝子に突然変異が生じ、弥生時代に日本に渡ってきた人々によって日本に広まったとされている。

他にも、弥生時代に中国から伝わってきたものに鉄器がある。

鉄器は、銅や青銅と比べると実用面で大きな利点があり、農耕において大いに役に立っただろう(銅や青銅器は簡単に折れ曲がってしまうため)。

しかし、奇しくも、寒冷化により食糧不足となった弥生人は、この鉄器を手にして殺し合うようになってしまった
その証拠に、弥生時代から人々の居住地には外環濠が作られ、負傷した遺骨が見つかるようになった。

縄文時代まではそのようなものは存在しなかったのだ。

③国家事業には環境破壊がつきもの

日本ではいつから環境汚染が問題視されるようになったのだろう?

古墳時代に作られた日本最大規模の古墳である大仙陵古墳(二徳天皇陵)は、全長486メートル、高さ35.8メートル、全面積約48万平方メートルもあり、エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並び、世界三大墳墓の一つと言われている。

著者らの推定によれば、大仙陵古墳を作るのに、ピーク時に1日あたり作業員が2000人働いたと仮定した場合、総工期は16年程度かかったとしている。

そして、古墳の他にも、1万5000個の塙輪を作る必要があった。
当然ながら、塙輪を素焼きにするため、大量の木材が燃料として消費され、森林の破壊につながった。

これにより、奈良時代中頃になると、森林資源の保護のため「大規模な古墳を造営してはならない」との通達が政府から発せられたようだ。

そして、奈良東大寺の大仏建立にも深刻な環境汚染が伴った

奈良の大仏は、当初、鍍金(金メッキ)されて金ピカの仏像だった。
これは、金箔を青銅に貼り付けるという単純なものではない。

金は液体の水銀に溶け、アマルガムと呼ばれる。「鍍金」作業では、アマルガムを大仏に塗って、その後大仏の表面を火であぶって水銀を蒸発させた。すると青銅の表面が金の薄い膜でおおわれ、「鍍金」作業が完成するのである。この作業の途中で、当然のことながら猛毒の水銀は空中に飛散する。

筆者らが平城京の土壌中の水銀の含有量を分析したところ、飛鳥時代以前の土壌では、水銀の濃度は非常に低かったが、大仏作成後の奈良時代後期になると、土壌中の水銀の値は7倍にまで上昇していたそうだ。

平城京の遷都は、都市汚染によるものではないかとも推測されている。

④人類20万年史を高い精度と完成度でまとめた労作

歴史の本は少し敷居が高いという人も多いのではないだろうか。

特に中国の歴史について本は、多くの地名と国、人物が入り乱れ、好きな人は好きだと感じるが、個人的には取っ付きにくさがあって、普段あまり手に取ることがない(あくまで個人の所感です)。

本書においても、保元の乱や平治の乱、元寇に北条時宗など、人によっては何十年も前の微かな記憶となっている固有名詞がいくつも登場する。

しかし、本書は過去の気候変動を軸に、人類の歩みがどのように制約され、世代交代がどのように推し進められたかといった、いわゆる「通史的」な解釈が基本となるため、上述した細かい知識を忘れていたとしても、十分に楽しめる内容になっている

一方で、炭素同位体による年代測定など、古気候学の手法などについては、必要最小限の記述に抑えられているため、深く知りたいという方は、本書を入門書として、別の本を手に取る必要があるだろう。

いずれにしても、人類が誕生して20万年もの歴史をここまでの精度と完成度を持ってまとめあげた労作は他にはない

本書を手始めとして、興味のある分野の専門知識に羽を広げるのも、大人な楽しみと言えるだろう。

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koya
読書歴10年。書評歴3年。本は読んでいるだけではダメです。 知識はアウトプットしてこそはじめて血肉となります。 私は読書歴10年ほどで、現在は毎月平均して10冊程度の本を読んでいます。 私がこの10年間で培ってきた読書のノウハウや考えは、きっと皆さんの役に立つと思っています。 目標は「他人が読まない本を手に取る読書家を増やすこと」です。
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