私は人が自分の好きなことを話しているのを聞くのが好きだ。なぜなら、どれだけ強面のオヤジだろうと孫の話をするときは表情が緩むように、人は好きなことを話す時、ただ単純に話すことを楽しんでいるような気がするからだ。
本書『魚ビジネス』では、魚好きの著者があらゆるテーマで「魚」を語り尽くす一冊である。本書の面白さを例えるなら、飲み屋で偶然出会った他人の話についつい数時間も耳を傾けてしまった面白さとでも言えようか。それくらい気軽に読める本である。
魚ビジネスというのは、日本独特のものでかつ非常にユニークである。その理由はやはり「生モノ」を扱うという点に尽きるのではないか。そもそも寿司や刺身のように、魚を生のまま食べるという文化は、世界でも珍しい文化なのだ。これは、四方八方を海に囲まれた日本だからこその文化で、生のモノを美味しく食べようと試行錯誤して生まれた技術は世界に誇れるものである。つまり、魚ビジネスは世界でも十分に闘えるということだ。本書は、どんな人にお勧めかと聞かれれば、迷わず社会人にお勧めしたい一冊である。
本書の冒頭にこんな言葉が書かれていた。
これから日本の「魚文化」はワインのように「世界の教養」へと変わっていく。
2014年、銀座の高級寿司店「すきやばし次郎」に、アメリカのオバマ元大統領が訪れたことは有名であるが、日本の魚は、他にもデビッド・ベッカムやレディー・ガガなどの多くの海外著名人に愛されている。
日本人たるもの、寿司と刺身の違いや各々の良さ、うまい海鮮居酒屋の選び方がわからないというのは考えものだろう。誤解してほしくないが、これは知らないのが日本人として恥だと言っているわけではなく、知らないのはあまりにも勿体ないということを言っている。それほど海外にも誇れる文化なのだ。他の歌舞伎や落語などを好きになるのは少し敷居が高いと感じるが、魚であればそうではないだろう。本書を読めば最低限の(いやそれ以上の?)魚の教養が身につくと言っても過言ではない。
本書の内容は、寿司、マグロの養殖、鮮度保持、水産流通、培養魚肉など、とても幅広い内容だ。さらに、どれをとってもそれだけで1冊書けてしまいそうな濃い内容ばかりである。それにも関わらず、手広く解説され、さらにはうんちくなども混ぜながら、読者を飽きさせることがなく「魚ビジネス」の奥深さにただただ魅了される一冊となっている。
そんな本書を書いた著者とは一体どんな人物なのか。
著者は、新潟の漁師の家で18年間家業を手伝い、東京海洋大学を卒業後、築地市場の卸売企業で働いていたというながさき一生さんだ。現在は「魚プロダクション」という一風変わった会社の代表も務めている。まさに魚一筋。この著者だからこそ書ける内容と納得の一冊である。
魚の味を決める重要な要素といえば、鮮度だろう。魚にとって鮮度は命。しかし「鮮度が良い」とはそもそもどういうことか。獲れたてであるほど良いということなのか。獲ってからの保存状態がいいということなのか。それとも、獲る場所がいいということなのか。多くの人は単に「鮮度が良い」という理由で満足し、それ以上のものはあまり求めないように思う。では、本書ではどうだろうか。
鮮度は魚にとって味を決める重要な要素です。しかし、鮮度はすべてではありません。散々、鮮度についての話をしてきましたが、この章の最後は、「鮮度はすべてでない」という話をしていきます
本書においても鮮度は重要であると言っている。だからこそ本書ではあらゆる側面からこの鮮度について語り尽くされている。本書を読むことで、これまで漠然と考えてきた「鮮度」への理解が180度変わるはずだ。
ユーグレナという会社は、2005年、当時1ヶ月で耳かき一杯分しか培養できなかったミドリムシの大量培養に成功し、今ではミドリムシを使った食料品市場を300億円規模に育てようとしている。さらに、福井県にある若狭高等学校は、宇宙食「サバ缶」を開発し、その後JAXAの正式メニューに加えられ、2020年には野口聡一宇宙飛行士がISSでこのサバ缶を食べてその完成度の高さを讃えた。どれも一つの組織が大きな目標を達成した成功事例であるが、魚ビジネスにはまだこうしたビッグな夢が数多く眠っているかもしれない。たとえば、魚肉の細胞培養については、畜産肉と比べてやや遅れをとっているという。
動物に対する実験は個体そのものよりも細胞に対して行われることが元々多かった一方、魚は個体そのもので実験することが多いため、細胞に対する知見が少なかったという背景があるからです
一方で、魚の細胞は25℃〜28℃でも培養できるとされており(畜産動物は38℃〜40℃)、調達エネルギーが畜産肉よりもかからないため、よりクリーンな食料として期待がされている。もしかすると、こうした分野で日本が世界をリードすることができるかもしれない。
さて、ここまで述べてきたように魚ビジネスは、日本が世界に誇れる文化である一方で、まだまだ課題が多い分野でもある。本書では、こうした今後の魚ビジネスについてもよく整理がされており、ここだけでも一読の価値がある。
また、先に触れた宇宙食「サバ缶」を開発した若狭高等学校であるが、もとはその前身である小浜水産高校が他の高校と統廃合して生まれた学校である。『さばの缶づめ、宇宙へいく』という本では、サバ缶の開発だけでなく水産高校の深刻な学生不足についても触れられているが、日本は元々こうした第一次産業で成長を遂げてきた国なのだ。本書『魚ビジネス』が、多くの人の手に渡り、魚ビジネスの重要性の理解を深める一冊となることを願っている。
『さばの缶づめ、宇宙へいく』もおすすめである。
私の書評はこちら。
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