現生人類とネアンデルタール人には接触があったのでしょうか?
本書の著者が明らかにしたのは、日本人を含む「非アフリカ人」はすべて、数%のネアンデルタール人のDNAを持つのに対して、アフリカ人は持たないということです。
これは、5万年ほど前にアフリカを出た現生人類が、中東あたりでネアンデルタール人と交配して、その後、世界中に広まったという説の強い証拠となります。
本書は、この驚愕の事実を解明した、スヴァンテ・ペーボ博士(以下、ペーボ)が自ら記した回想記です。
ペーボは、数十年に及ぶ苦闘の末に、化石骨からネアンデルタール人のDNAを復元することに成功し、そのDNAが現生人類の中に数%残っているという事実を明らかにしたのです。
本書は、古代の遺物を研究することの苦悩や熾烈なネアンデルタール人DNAの解読レースを回想しながら、科学という営みの面白さをこれでもかと満喫できる一冊です。
2400年前のエジプトのミイラ3体からDNAの抽出に成功
ペーボが最初に興味を持ったのがエジプトのミイラでした。
1980年代、まだ医学生だったペーボは、分子生物学という新しい技術を古来からあるエジプト学へ応用することを思いつきます。
伝統的なエジプト学では解明できなかった謎を解くことができる。たとえば、現在のエジプト人は5000年から2000年前のファラオが統治していた時代のエジプト人とつながりがあるだろうか?
(中略)つまり、現在のエジプト人はピラミッドを造った人々の子孫なのか、それとも、侵入者との入れ替わりや混血が何度も起きたせいで、昔のエジプト人とはまったく違う人々になったのだろうか?
当時の分子生物学の技術でも、さまざまな有機体(植物、動物、人間等)から抽出したDNAを、ベクターと呼ばれる運び屋を利用して、バクテリアウイルスに移植することで、数百、数千ものDNAのコピーを複製することができました。
ペーボは、この技術を利用して、2400年前のエジプトのミイラ3体からDNAの抽出に成功し、それがちゃんとヒト由来のDNAであることを特定します。
この研究は、後に科学誌ネイチャーに掲載され多くの反響がありました。
その反響のすごさと言えば、論文を見た当時分子生物学研究では当代一の学者だったアラン・ウィルソンから、「次の休暇、ペーボ教授の研究室で過ごさせてもらえませんか?」とアプローチがあったほどだったと言います(当時のペーボはまだ教授ではなくて学生です)。
古代の化石からDNAを抽出することは無理ゲー
人間のDNAを運ぶ媒体はいくらでもある。実のところ、人間が暮らす部屋や仕事をする部屋にある埃の大半はヒトの皮膚の断片で、その細胞は完全なDNAを含んでいるのだ。また、かつて博物館や発掘現場でその化石に触れた人のDNAが混入している可能性がある。
そして、本書からは古代の化石骨からDNAを抽出することが、いかに困難であるかがわかります。
ペーボは、ネアンデルタール人のDNA抽出を試みるまでに、かれこれ10年以上も、マンモスや地上性ナマケモノといった絶滅種のDNA抽出に携わってきましたが、そのほぼすべてに現代人のDNAが混入していたといいます。
それほど人間による「汚染」がない化石を探すことは困難であり、汚染のない化石を求めて、ペーボ自らネアンデルタール人の化石発掘に携わるほどでした。
さらに、他からは完全に隔離されたクリーンルームを研究室に構築し、人間による「汚染」を最小限にするような対策もおこなっています。
しかし、当時、他の多くの研究室でもネアンデルタール人のDNA抽出が試みられていましたが、そのほとんどが、まともな汚染対策がなされておらず、混入した人間のDNAをネアンデルタール人のDNAとして論文を発表する研究室が後を経ちませんでした。
実は、さきほどのミイラのDNA抽出についても、現代人のDNAが混入していた可能性が非常に高く、現代人のDNAと誤認していたと、後にペーボ自身が語っています。
突破口は、あのメイラード反応!
しかし、このミイラでの失敗が後々のネアンデルタール人DNA抽出の突破口となりました。
実は、ペーボの研究室ではさきほどの人間による「汚染」の問題があって、ネアンデルタール人以前に、ほかの古代の化石骨からのDNA抽出すらもままならない状態でした。
そんな暗中模索していたさなか、数千年前の細胞にどのような化学反応が起きているかを調べているうちに、メイラード反応という、主に食品科学でよく耳にする化学反応にたどり着きます。
焼きたてのパンの香ばしい匂いや焦げ色をもたらす、あのメイラード反応です。
メイラード反応は、糖がタンパク質やアミノ酸とクロスリンク(架橋結合)して大きな複合体になる現象で、通常の形態の糖を高温で加熱したり、低温で長時間温めたりしたときに起きる。(中略)メイラード反応の産物が紫外線をあてると青い蛍光を発することだった。エジプトのミイラで起きたのはこれかもしれない。その抽出物の青い蛍光だけでなく、(間違っているかもしれないが)その茶褐色の肌と、それほど不快でない独特な甘い匂いもそのせいではないだろうか。
このメイラード反応によってくっついてしまったタンパク質同士を、N-フェナシルチアゾリウムブロミド(PTB)という試薬で引き剥がすことで、ペーボは、ホラアナグマの古代の化石骨から核遺伝子の断片を複製することにようやく成功します。
それにしても、ミイラの香ばしい匂いからのインスピレーションとは・・・。
ペーボの研究にかける想いが伝わってきます。
ネアンデルタール人は私たちと交配した
チンパンジーと現生人類のDNAは、非常によく似ていることが知られています。
そのDNAの塩基配列の違いは、わずか1パーセント余りです。
このたった1パーセントの塩基配列の違いが、急速な進化を人類にもたらし、現生人類が出現したのです。
ペーボは、学生時代にミイラのDNA復元に挑んだのを皮切りに、古代のDNA解読に取り憑かれ、あの「ヒトゲノム計画」をも可能にした次世代シーケンサーを使用して、ようやく4万年前のネアンデルタール人のDNA解読に成功しました。
この分野に30年以上身をおいているペーボ以上に、古代の化石研究について、これほど面白く語れる研究者は他にいないでしょう。
本書は、最先端の技術を駆使して古代の遺物を研究するギャップ、熾烈なネアンデルタール人DNA解読レース、そして、ときにあけすけなユーモアを発揮するペーボの筆致にクスリとさせられながらも、科学という営みの面白さを存分に堪能できる一冊です。
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