2020年にアメリカのミネソタ州で、白人警官により道路に抑えつけられた黒人男性が死亡した事件を覚えている人も多いでしょう。
この事件は、アメリカで、黒人の人権問題について改めて問う「Black Lives Matter(ブラック・ライブズ・マタ―)」という抗議デモを発生させ、社会を揺るがしました。
その解剖所見では、「狭いスペースでうつ伏せに圧迫されたために胸郭運動が制限されて呼吸できなくなる、いわゆる”体位性窒息”が死因に関与している印象を持つ」と記されていました。
たしかにこうした見解が出れば、警官への是非を問う声があって当然のことでしょう。
しかし、実はこの事件にはあまり知られていない事実があります。
それは、薬物分析の結果、死亡した黒人男性からフェンタニル、メタンフェタミン、コカインなどの違法薬物が血液中から検出されたことです。
違法薬物使用の事実などを見ると、被害者としてだけ記憶されている黒人男性への見方が変わる人がいるかもしれません。
こうした事件は、死因を究明することの重要さを社会に問いています。
日本は死してなお平等ではない?
本書は、日本の死因究明制度について書かれた一冊です。
日本では、病院の診療過程で死亡する場合は、「普通の死」として扱われますが、病院外で死亡する場合は、「異常死」と分類されます。
しかし、日本では、この異状死した死体についてほとんど解剖されることがありません。
しかも、その解剖率については、都道府県によって大きな格差が生じています。
本書は、法医学者などの死の現場に直接携わる当事者の証言から、日本の死因究明制度の欠陥を浮き彫りにします。
異常死体のほとんどが死因究明されない
日本では、医学的な専門知識がない警察が、死因究明制度を仕切っています。
病院外で死体が発見された場合、その死体は警察が引き取ることになります。
警察により事件性があると判断されれば、法医学の専門的な訓練を受けた法医解剖医が司法解剖を行います。
一方、検視で事件性がないと判断された場合、ほとんどの地域ではそのまま葬儀に回された後、火葬され、死因の究明はされません。
こうして、異常死体のほとんどが、死因をきちんと明らかにしないまま葬られてしまうのです。
解剖率はたったの17.2%
その低さは、数字を見るとよりわかりやすい。
解剖率トップクラスの東京ですら、その解剖率はたったの17.2%です。
つまり80%以上の異常死体が、解剖もせずに死因を決められているのです。
こうした死体の多くには、「心不全」という死因が記載されることになります。
人は最終的には心機能の不全によって生を閉じるため、「心不全」は間違いではありませんが、何も言っていないのと同じです。
あなたの最愛の人が亡くなったとき、何も原因究明されずに「心不全」と診断されたら、あなたはどう思うでしょうか?
諸外国の死因究明制度
では、諸外国の対応はどうなのかと言うと、世界で最も死因究明制度が進んでいるフィンランドでは、異常死体の解剖率は78.2%にも上ります。
ほかにも、イギリス(45.8%)オーストリア(53.5%)などが高い数字を誇っています。
こうした解剖率が高い国に共通するのは、コロナ―制度があることです。
コロナ―制度とは、アメリカで発祥された制度で、警察から独立した機関が、死因を究明する専門的な役割を担います。
解剖率は、国による「死」の考え方に左右されます。
解剖率の高い英米圏のように、コロナーを配置し「死の事実関係を明らかにする」ことに重きを置くか、それとも、日本のように、警察が主導し「犯罪性の有無」に重きを置くかによって、大きな差異が生じています。
神奈川県問題とは
実は、日本にもこうした英米圏に負けずとも劣らない解剖率を誇る県があります。
それは神奈川県です。
神奈川県の年間の解剖件数は4,318件で、最も医療環境が整っている東京都の3,710件を抜いて、1位となっています。
しかし、これには裏があって、先ほどの件数の9割程度は、たったひとりの解剖医によって行われています。
さらに、承諾解剖を行った費用は、遺族に請求して、支払わせています。
解剖費用は、通常高額となることもあって、自治体や検察庁が負担することが多いです。
遺族から解剖費を受け取って膨大な解剖数を報告している神奈川県の状況は「神奈川県問題」と呼ばれているようで、本書にはまだまだ多くの驚くべき事実が書かれています。
死体格差
死因究明制度が二流だと、皆が苦しむことになる。死んだ人は、誰も自分の最後がどんなものだったか語ることができない。もし愛おしい家族や恋人、友人など自分の近いところにいた人が亡くなった場合、適切に死因の調査をしてほしいと思うのではないでしょうか。
本書は、日本の死因究明制度はもとより各国の事情について、多くのことを知ることができる良書です。
一方で、「死」について多くのことを考えさせられる一冊でもあります。
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