人類が初めて宇宙に飛び出したのは1961年4月のことだ。
人類史上初の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンの飛行時間はわずか108分。
そんな偉業達成からわずか4ヶ月後、宇宙で最初の食事がとられたという。
当時、宇宙での食事が人体にどんな影響があるか未知数であったため、宇宙食といえばもっぱらチューブ入りの食品が多く、味や食感は二の次とされた。
その後、地上での消化活動と変わらないというエビデンスが増えたことで、現在のようにステーキやラーメン、デザートといった300種類以上ものメニューが楽しめるようになっている。
宇宙と地上とで大きく異なるのは、宇宙食にはより厳格な基準が定められているということだ。
例えば、冷蔵庫のないISSで1年以上の常温保存ができることや、粉や水滴が飛び散ることで船内の機械に入って故障をまねかないよう一定の品質が要求される。
そんな宇宙食という土俵に、いかんにも挑んだのが福井県立若狭高等学校(旧小浜水産高校)の高校生たちである。
宇宙食、つくれるんちゃう?
本書は、若狭高等学校の小阪康之先生とその生徒たちが、宇宙食としての「さばの缶詰め」を制作し、実際に宇宙飛行士が食べることのできる正式メニューとなるまでを追ったノンフィクションである。
正式メニューというのは、宇宙飛行士がメニューの中から「これを食べたい」と選べば、製造元は宇宙飛行に合わせて製造し、JAXAに納品する責任が伴うということだ。
製造元の大半は大手食品メーカーが名を連ねるという中で、この若狭高等学校がその名を刻んでいる。
肝心の味はといえば、2020年11月に飛行した野口聡一宇宙飛行士は、ISS(国際宇宙ステーション)で真っ先にこのサバ缶を食し、宇宙食としてのできの良さを讃えたほどである。
では、その若狭高等学校とは一体どんな学校なのか?
じつは、若狭高等学校はその前身である小浜水産高校時代に廃校を囁かれ教育困難校とも言われた高校である。
この宇宙食の実現は、小浜水産高校時代の「宇宙食、つくれるんちゃう?」の生徒の一声から始まり、約13年もの年月と300名以上もの生徒がバトンをつなぎ実現したものであった。
不良生徒×新米教師
本書の舞台は、現在の若狭高等学校に統廃合される前の、日本で一番歴史ある水産高校、小浜水産高校(以下、浜水)だ。
浜水は、水産業や農業といった第一次産業の衰退の道と同様の道を歩み、生徒の質も悪く教育困難校の一つとされていた。
そんな浜水に赴任されたのが、本書の著者であり、当時大卒一年目の新米教師・小阪康之だった。
不良生徒×新米教師とは、ドラマによくあるシナリオのようでもあるが、宇宙食への取り組みはまさにこの構図から始まったのだ。
そんな小坂がまず最初に成し遂げたのが、HACCPの認証を全国の水産高校で2校目に取得したことだ。
HACCPとは、NASAが開発した食の衛生管理システムで、いまや食品衛生管理の世界標準と言っても過言ではない。
宇宙食の正式メニューとして認定されるには、このHACCPの認証を取得していることが前提条件となる。
世界標準ともなれば、大企業のように潤沢な資金も設備もない地方の水産高校にそんなことが成し遂げられるのかと思ってしまうが、その認識は正しく、小阪以外の周囲の教員は皆同じように無理だと思っていた。
しかし、小坂はこのHACCPの認証取得を生徒たちの絶好の教育機会と捉え、生徒たちや周りの教員たちの心に火をつけることに成功した。
過程が最も大事
大きな挑戦につきものなのが、小阪のような熱血教師が一人で突っ走ってしまうことだ。
周りがついていけず、「あの先生、いつも変わったことしているよね」と引いてしまうのである。
では、なぜ小阪は周囲の心に火をつけられたのか?
その答えは小坂の教育への考え方にある。
小阪が最も大事にしているのが「見取り」である。
それは、どんな小さなことでも生徒が何かに気づき感動して一歩踏み出したときに、周りの大人が相槌を打ち、認めるということだ。
小坂は「見取り」こそが生徒たちの自主的な学びや成長につながると考えている。
小阪がこの考えに至ったのは過去の苦い経験があるからだ。
それは小阪が携わった全国水産海洋系高等学校の発表大会でのことである。
当時、浜水の統廃合問題もちょうど架橋を迎えており、小坂としては統廃合問題に一石を投じるため、何としてでも全国大会優勝という実績を作りたかった。
小坂は生徒を半ば強引に引っ張ることでなんとか優勝を勝ち取ることができた。
生徒たちも時には涙を流しながらも一生懸命についてきてくれた。
ともに満足のいく経験になるはずだった。
しかし、後日、卒業した生徒らと再会した際に言われた一言にショックを受ける。
先生が的確に直してくれたことを暗記すれば、優勝できた。毎日夜中まで暗記したのを覚えている
今も仕事は暗記するようにしている
こうした考えを持っていては、変化に富んだ社会や仕事に対応できる大人にはなれないだろう。
自身の教育の過ちを痛感した瞬間だった。
こうして小坂は生徒たちが主体的に進めることが何よりも重要であるという考えにたどり着いた。
宇宙食開発に13年もの年月がかかったのはおそらくそのためだろう。
小阪自身も宇宙食をただ完成させるだけであればもっと早く達成できたと語っている。
しかし、生徒を強引に引っ張り、宇宙食を完成させるようなことは決してしなかった。
この視点は教育においてもっと重視されるべきだろう。
多くの生徒や教員、周囲の大人たちが一つの夢を共有し様々な発想や思考が重なることで、その夢は、何があっても折れることがない強靭なプロジェクトへと成長するものだ。
本書は、結果が重視される教育の世界で、過程が最も大事であるということを痛感させてくれる内容だろう。
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