『ヤクザときどきピアノ』封印した己の渇望を解き放て!

本書は、タイトル『ヤクザときどきピアノ』にもある通り、ヤクザものを中心に執筆するライターである著者が、52歳にして通い始めたピアノ教室での出来事について書いたノンフィクションである。

定年を迎え、これまで仕事で忙しくてできなかった趣味に再挑戦する人も多いことだろう。
おそらくピアノもこの再挑戦したい趣味の一つにランクインしている。

ピアノは、ベートーヴェンやモーツァルトが生きた時代から姿形を変えず、今でもなおその音色一つで多くの人を魅了する歴史ある楽器の一つである。
そうであるが故に、十代の前半でさえ、幼少期にはじめた人間とは埋められない技術差が存在するほど、修練が物を言う楽器でもある。

だから、多くの人は弾きたいという気持ちを諦めて大人になるのだ。
しかし、著者は他の多くの大人と比べて、ピアノに対する想いの強さと往生際の悪さを持っているようだ。

レッスンは冒険であり、レジスタンスだ。ピアノは人生に抗うための武器になる。俺は反逆する。残酷で理不尽な世の中を、楽しんで死ぬ。

そう息込んだ著者は、早速ピアノ教室を探し始める。
日頃から取材対象がヤクザ中心の著者は、教室選びでさえ、全く物怖じしない。

「『ダンシング・クイーン』が弾きたいんです。」

ピアノ教室の電話番号をプリントアウトし、赤ペンを手に片っ端から電話をして質問するのはもっぱらこの一言だけだ。
無論、大半の教室からは丁重に断られ予約に丸二日を費やす羽目となる。

実は断られた理由は別にもあって、昨今は、防音の個室で二人きりになることを目的とするトンデモな受講生も増えていることから、特に中年の男性受講生を受け入れたがらない教室も増えているそうだ。

そんな中で出会ったのが、運命の人、レイコ先生だ。
このレイコ先生こそ目利きの効く著者に見出されて然るべき魅力たっぷりの人物である。

レイコ先生も、自分探しとか自己実現とかいうふんわりとした理由を受け付けない、硬質な専門教育を受けてきた雰囲気をまとっている。人を殺したことのあるヤクザが特別なオーラを放っているのに似ている。

本書の言葉を借りれば、レイコ先生の一つ一つの言葉の背後には、ぶっちぎりの叩き上げ感ともいうべき、接したものが圧倒される何かが存在している。

本書を読めば、ピアノの先生はプロになる夢を諦めた敗北者がなる職業ではなく、芸術の力を信じて止まない人たちから成る立派な職業なのだと実感できる。

レイコ先生は、我々が抱いている「ピアノの先生」という固定観念を破壊する存在なのだ。

そして、レイコ先生も大したものだが、著者自身の行動力には驚かされる。

カメラマンやライターを職業としてきたからこそ、常人よりも物怖じしない積極性があることはうなずけるのだが、著者を動かしているのは「知りたい」「達成したい」といった自らの心から生じる渇望である。

著者は、自分が知りたいこと達成したいことに驚くほど忠実に行動する。

本書は、私たちが忘れてしまった「図々しさ」ともいうべき、自ら行動することの大事さを思い出させてくれる本だ。

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koya
読書歴10年。書評歴3年。本は読んでいるだけではダメです。 知識はアウトプットしてこそはじめて血肉となります。 私は読書歴10年ほどで、現在は毎月平均して10冊程度の本を読んでいます。 私がこの10年間で培ってきた読書のノウハウや考えは、きっと皆さんの役に立つと思っています。 目標は「他人が読まない本を手に取る読書家を増やすこと」です。
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