【書評】『ヒトラーの馬を奪還せよ』

時に本との出会いは、歴史的な瞬間に立ち合う機会を与えてくれる。本書は、第二次世界大戦時下に失われたと思われていた美術品「ヒトラーの馬」発見に迫ったノンフィクションである。

違法な美術品取引の売上高は年間1兆円ほどに達しているという。CIAによれば、麻薬、資金洗浄、武器取引に次いで、世界第四位の後ろ暗い収益源になっているそうだ。今回の「ヒトラーの馬」はなんと12億円もの大金で取引されようとしていた。これがいかに歴史的スキャンダルであるかがお分かりいただけるだろう。

この「ヒトラーの馬」調査の過程で登場するのは、ナチス親衛隊メンバーを救出するために暗躍した組織、元KGB、旧東独のゲシュタポ関係者、他にもあまり表沙汰にされないナチス絡みの組織や団体まで、まさに危険極まりない奴らである。

そんな奴らを相手に奮闘するのが本書の著者で、美術界の「インディ・ジョーンズ」の異名をとるオランダの美術探偵アルテュール・ブラントだ。ブラントはこれまでにも行方不明だったダリやピカソの作品の発見にも貢献している人物である。

ところで、「ヒトラーの馬」とは、かつてヒトラーの総統官邸前に建っていた一対の馬のブロンズ像のことである。ナチス時代には、ナチスのイデオロギーに合わない美術品が排斥される一方で、プロパガンダを目的にして作成された美術品も多かった。この馬のブロンズ像は、ヒトラーのお気に入りだった彫刻家ヨーゼフ・トーラックが制作したものだ。まさにナチス・プロバガンダを象徴する作品なのである。

このナチスを象徴する高さ3メートル、重さ2トンの巨像が70年の時を経て美術品の裏市場に売りに出されたのだ。はたして本物なのだろうか。本書は著者による再現性の高い会話体もまじえて、まるで上質なミステリー小説を読むかのような読み心地を味わうことができる。

本書で暴かれているのは、ナチス保有の数えきれないほどの美術品が、ソ連を通して西欧諸国の手に渡っていたという、ブラックマーケットの存在だ。第二次世界大戦終結後、ナチスの美術品の多くがソ連に呑まれて消え失せたと言うが、実はこの略奪された美術品は、今もドイツとロシアの軋轢の種になっているのだ。ほんの数年前にも当時のドイツ首相アンゲラ・メルケルとロシア大統領ウラジーミル・プーチンの間で激しい議論を引き起こしたほどだ。本書にはソ連への美術品流出に携わったブローカーが登場している。

ときには1945年にソ連軍が略奪したナチの美術品が手に入ることもあったそうです。そういう『ブラウンアート』は最高機密でした。西側に知れたらどうなるか想像もつきませんからね、こんな取引の儲けで共産主義国が懐を温めているなんて

「ヒトラーの馬」は公的にもドイツの国有財産という扱いである。それをブラックマーケットに流そうとしているのだから、前代未聞の一大スキャンダルになるというわけだ。

ヒトラーやスターリンなどの独裁者、ISIS(イスラム国)のような集団は、自分の思想にそぐわないものは全て消し去ろうとした。前の時代の不都合な部分を残らず消し去ったりすれば、後にはほとんど何も残らないだろう。

しかし、歴史を消し去るのはそれほど容易いことなのだろうか?そうではないだろう。この世界を少しでも理解したければ歴史を学ぶことだ。それが歴史の最大の価値なのである。美術品とは歴史そのものだ。本書を読む前は、ただの一対の馬の銅像としか思えないが、本書を読み終えた時、あなたはその歴史的価値を十分に理解することができるだろう。

参考文献①:現代ドイツを覆うナチスの影
参考文献②:ヒトラーの青銅種牡馬ソーラックがベルリンで除幕される

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koya
読書歴10年。書評歴3年。本は読んでいるだけではダメです。 知識はアウトプットしてこそはじめて血肉となります。 私は読書歴10年ほどで、現在は毎月平均して10冊程度の本を読んでいます。 私がこの10年間で培ってきた読書のノウハウや考えは、きっと皆さんの役に立つと思っています。 目標は「他人が読まない本を手に取る読書家を増やすこと」です。
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